インターネットで考える

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テレビと web

「テレビはネットフリックスに負けない」
「テレビはユーチューブに負けない」

これらのトピックが語られるときに、必ず起こるのが
「ネットフリックスの時には、テレビはお手軽さで勝つ」と言い、「ユーチューブの時には、テレビは高品質さで勝つ」
というレトリックだ。
しかし、実際に何が起こっているかというと、ネットフリックスとユーチューブは同一の技術で構成されている。
すなわち web だ。

そうると、今後何が起こるのかと言えば、ユーチューブではよりテレビが手軽に見れるし、ネットフリックスではテレビよりも高品質な作品が見れるということだ。

つまり、これは逆転して言えば、「テレビはネットフリックスよりも質で劣る」し、「テレビはユーチューブよりも手軽さで劣る」ということになる。

もちろん、これはレトリックだから、等価にすぎない。

実際に、消費者がどちらを選ぶかは神のみぞ知るということだが、私としては web 技術が、単により消費者に選好であると思われるという点で、 web の躍進と思っている。

ダンベルとふぃっとねす

ダンベル何キロ持てる?」、面白いですよね。 

ダンベル何キロ持てる?(1) (裏少年サンデーコミックス)

ダンベル何キロ持てる?(1) (裏少年サンデーコミックス)

 

シリーズ構成も志茂文彦氏ですし。

ひびきはかわいいし。

街雄はサイドチェストですし。

 

しかし。

しかしですよ。

ジム漫画といえば我らがストロマ氏の「ふぃっとねす」があるではないですかああああああああああああああ 

 街雄はいませんが、ヒロインズがかわいい漫画です。

内容の違い? ありません。ジムで筋トレします。

 

オチもなく終わる

新海誠監督という断絶

久しぶりにアニメ批評。

いや実はアニメブログなんですよ? 最初は。そう昔はシーズンごとにアニメ評価をしていたりとね…。

 

そう。アニメ批評というものそのものが減り、Googleでアニメの感想を検索するとTwitterをまとめたまとめブログがいくつもヒットする時代。いやはや。2chまとめですらなく、昨今はtwitterまとめなんですよ。というわけで、「ブログ」の概念が壊れる新しいインターネッツの時代へようこそ。もはやブログは特定の書き手によるものではなくTwitterにおける群衆の様々な客席からのその場その場の野次を速記形式でまとめるものになったわけで、それもまた一つの新形態。

そんなわけで全然それらしいサイトがヒットしないのでそのものずばりアニメ批評で検索し、色々回って考える。そう、実はアニメ批評とはアニメ「研究」なのであり、研究である以上は対象にしっかりと注目していなければよいものは書けないという当たり前のことを思う。

リンクサイトでは広告アニメーションを取り上げており、これもまた新機軸。どうにもこうにも深夜アニメというジャンルにおける新機軸のなさに徒労感のある昨今においてこの見立てはまた興味深く。

それで自分なりに思ったことが、やはり新海誠監督はアニメ史に大きく衝撃を与えたということです。新海調の映画(予告)はとどまるところを知りませんが、言われてみれば新海調のアニメCMも馬鹿増えで、もう雲が、物体の(光の)ラインが、反射が、水が、そうこれは新海と感じさせるばかりになりました。

新海監督自身もCMを作っているので、その影響はいわば直接に及ぶわけですね。

対象になっている丸井の広告アニメもまた新海調が露骨に伝わるものになっています。キャラクタは3DCGで、おまけに天女みたいなキャラでそこらへんが、つまり人物のモデリングは新海調の、つまりなんとか建設のCMとかに出てくる<日本人>風ではないのですが。(いわゆる広告の中だけに存在する人間というやつで。その<人間像>も非常に面白いんですね。特に広告アニメだと女子高生とか男子高生が出てくるんですが、それが<理想のティーン>なんですよ。爽やかな人間ばかりで、全く現実離れしていてこれぞ虚構なる広告の世界だなと感じさせてくれる)

このアニメ、よく見るとシナリオが意味不明で、傘をプレゼントしてくれる女の子のシーンの次にはぶん投げて捨てられたその傘。プレゼントされた男は図書館で途方に暮れる。結局最後のシーンではどこかで買ったのか黒傘を持ってる男に再び女の子が傘をプレゼントしてくれるという(もう持ってるんですが…)。

さて新海調が著しく表れているのが、傘についた水滴(雨粒)ですね。実にリアリスティックな反射を形成しております。そしてビニール傘。ビニール傘といえば「秒速5センチメートル」の小学生時代の明里が桜舞う中広げてくるりと回るシーンが誰しもの頭に浮かび上がります。また細かいですが、地面に雨で歪んだ信号機が反射していますが、このような光学的なリアリズムも新海調の特徴です。雨の波紋は言うに及びません。さらに言うならベコベコの空き缶も、新海作品に出てくる都会の汚い裏面を想起させます。

次の恐らく図書館で傘を探すシーン。背景美術はバリバリの新海調ではありませんが、物体の大きさなどリアリスティックで新海以降の広告アニメに必須の要素を備えています。また手すりや階段、壁の溝などが街灯及び図書館内の電灯を反射して全体的に光が作用しているのが新海調を想起させるものです。自動ドアのガラスの細かい光学作用の再現もリアリスティックです(ただの灰色だけで終わらせていない)。

次は男の子がアップになるシーン。誰もが分かる強烈な雨粒。ここまでくると新海調とは言えませんが、「フォトリアルに描く」という新海以降の世界観をはっきりと示しています。

スマホのLINE!

だけで済ますのはアレなんで、「君の名は。」の予告でも見れますが、スマホを持っているシーンで、そのスマホの向こうに背景があるのですが、これがボケ(玉ボケ)を形成している。被写界深度表現です。共通していますね。

アニメイテッドなシーンが続きます。女の子が縦横無尽に駆け回る。望遠ショットに映る都会のゴミゴミした看板などが秒速を思い出させます。

めっちゃ水しぶきが舞ったりとここら辺はそれほど新海調ではなく。ですがやはりベンチの際などがやたら光ってるのが未だそのムードを手放しません。

落胆する男の子。手前にある生垣と奥にある車(マーチか?)と形成する望遠ショット。

女の子がレインコートをひっかけて、手間に回転しながら迫ってきますが、どんどん迫ってくるにつれて背景の壁などのボケがきつくなるというフォトリアルな描写。

電車から見えるショット。電車の車内はもちろん新海調。これはもう今や定番ですね。電車のドアや網棚のメタリックな反射はもはや必須です。

太陽に浮かび上がる大都会。もはやこのTOKYO(広告風)のイメージは完全に定着しました。

再会。

 

さて、ここまで見てやっと天女は実は傘そのものであり、しょぼくれていたシーンに現れた女の子は最初に傘をくれた女の子だったということが分かったわけです。そして東宝(「君の名は。」の配給)

とまあ久しぶりにアニメに触れてみました。新海監督のもたらしたアニメーションの新機軸は、大きく広告の世界も変えたようです。

新海監督がもたらした表現技法は、子供向けアニメや深夜アニメといったものよりも、こういうターゲットが広く取られた人たちに刺さったわけで、これもまた面白い現象ですね。そしてその新海監督の表現が「現実の遠近法」を変えて行っているわけで、それによって人々の抱く「イメージ」がまた更新されていくわけです。もちろん、監督作品には様々なイメージが盛り込まれていますが、新海以降の作品はそこから様々なイメージを借用して自分たちの目指す「イメージ」を作り上げていくでしょう。

異世界転生

何年か前には「四文字熟語」に「カタカナ」を読ませる魔法学園ものが流行っていたが、今の流行りは圧倒的に転生モノである。

【2019年 上半期本ランキング】樹木希林さん書籍が好調、新書初の上半期1位 生田絵梨花写真集は上半期歴代最高売上 11ページ目 | ORICON NEWS

第一位に転生モノ

 

転生モノとは何かというと、これはゲーム実況動画と同じである。

実況主がゲームをやってるのを眺めるのが「ゲーム実況動画」だが、これはゲーム感覚で異世界を遊ぶ、まあそういう作品群である。ゲーム実況自体が「友達がやってるゲームを見る」ものの延長にあるのだから、何も動画サイトがなくてもこのようなスタイルは考えられる。すなわちロールプレイ。

 

つまり、主人公は勇者のロールプレイをしているのである。こういうTRPGがあったら、じゃあそのキャラとしたらどういうロールをするだろうか、という話。

最近のミステリ

最近はツイッターで特定の関連のことを書いてるから、なかなかこういうものを昔のように気軽にツイートできない。

そんなわけでこちらに書くが、このミス2018年版を読んでいてふと気づいたこと。

相変わらず海外ミステリでは「第二次世界大戦下の~」というのが流行のようだが、自分、最近海外ミステリがピンと来てなかったのはこれが原因だ!と悟りのような感じで思いました。

本格ミステリ×第二次大戦」みたいなやつ。

大体がパリかベルリンかロンドンか、みたいな。で、将校が~とか捕虜が~とか連絡員が~みたいな。

どうもピンと来ない。余計な情報が多いというか。ブラウン神父でも折れた剣にそういう話があるが、なんかミステリと戦争って合わない気がする。スケールが違うというか。折れた剣はそういうミスマッチを逆手に取ってるわけで。

戦争ってのは、歴史なわけで。本当の歴史が進んでる話の中で、そういう虚構の本格ミステリみたいな話をされても「ウソじゃん」って感じ。本格という虚構が耐えられる震度じゃないというか。それほど戦争は重いわけで。

じゃあCWAやMWAがいいかというと…CWAはよくわかんないし、MWAはよく分からない「アメリカの田舎町が舞台のリアリズム風…」みたいな。

どうも虚構性が薄まってる気がする。チャンドラーとか読んでも、なんというかあれはアメリカじゃないと思うんですよね。あそこに映るのはチャンドラーの世界であって、全然リアリズムじゃない。だからこそ嘘っぱちの話が成立する。

だけど、今の作家って、そういう虚構の世界を成立させられていない気がする。だから、なんか中途半端なリアリズムっぽい話を使おうとする。三面記事とかにありそうな。でも、それは単に安っぽいだけなんだよね。

そんな中でもジェフリー・ディーヴァーは、上手いと思う。最新の技術を取り入れながら、安っぽくならない。エンタメとして成立している。まあ、それでもちょっと前のアメリカ(ブッシュ時代感)って感じではあるけど…。作中にも出てくるけどCSI的なね。あれももう古いからなあ…。

結局今アメリカで一番面白いのはアメコミですしね…。そんな感じで終わる。