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「人手不足」とは何か

仮にXという時給で応募をかけた際、人が来ず、X+aという時給では人が来る、という場合、単に必要なのは「時給を上げること」でしかない。

 

「人手不足」という表現には厳密な定義がなく、非常に紛らわしい表現としか言いようがない。

この「人手不足」という言葉が、ジャーゴンのようにマスコミの間を飛び交い、まともな議論が行われておらず、明らかにその「人手不足」というマジックワードの元で、単に「人口不足」というイメージに直結させて、「なら人間を増やせばいい」という小学生並の単純なロジックで議論が展開している。

 

この問題は、現在日本の経済で何が起きているのかをデータで以て示し、それに対する学問的な解決方法を考案することが肝要であり、いたずらに机上の空論で議論すべきことではない。

それは、日本の経済環境そのものを大きく捉え、今後の経済目標を大きくデザインしていくことが必要なのであり、なし崩しに、現在の時給で人が来ないから、じゃあ購買力の低い国から国民を引っ張ってくれば良い、などという安直なやり方で解決を図るべきではない。

 

時給を上げれば、その上がった時給は製品に転嫁される。そうすれば、製品価格は上がる。そうであれば、需給が一致するはずである。

たとえば月給13万程度で外国人を労働させている企業があるとして、じゃあこの月給13万で日本人が働くか。

働くわけがない。

元々、こんな仕事はまともではない。

まともではない仕事を、安くても働く外国人を雇用して酷使するようなことは、これまたまともなことではない。

人権的にも言語道断であるが、経済的にも全く良くない。

なぜなら、この先、この企業は月給13万で人を使い続けるからだ。そうであってみれば、必ず「安くこき使う人」が必要であり続けるということである。いくら外国人を増やそうとも、ますます月給を下げる猶予が生まれるだけで、外国人が不要となることはない。なぜなら、この企業は元々月給を上げる気がないからだ。安くしてても人が来るようになったのに、なぜわざわざ上げる必要がある?

月給が安くて人が来ないなら、月給を上げる他ない。それを、外国人という形で月給の据え置きを許すのは、産業構造を歪めることにしかつながらないだろう。

また、ケインズによれば、「国民所得=投資(貯蓄)+消費」である。

しかし、月給が安くなれば、貯蓄も下がるし、消費も下がる。

結果、国民所得も下がるという結果になるのではなかろうか。

www.nikkei.com 

(こう言うと、「だから雇用流動化(正社員解雇)を進めよう」という話に持っていく人がいるが、そんなことはないと考える。正社員を解雇することで経済が発展するなどとはケインズは言わなかったはずだ。)

初心者向けゲーミングPCの価格について

PCゲームを始めようと思った時、人はどういう言葉で検索するだろうか。まずはゲームのタイトルを検索する。そして、それがPC専用だったとする。その場合、家にあるPCが、とてもゲームなどは動かない場合、恐らく「ゲーム PC」などと打つに違いない。

 

そうした時に表示されるのはどういうPCかといえば「ゲームが動くゲーミングPC!」という売り手のページがヒットするのではないだろうか。

しかし、この「ゲーミングPC」。かなり性能に幅がある。

一言でゲーミングと言っても、エンジョイ勢からガチ勢までいるようにゲーミングPCにもエンジョイ勢とガチ勢がいる。

で、ゲーミングPC市場において、売り手が表示しているゲーミングPCというのは、これはもうガチ勢のことを指しているのである。

だから、平気で価格が税込みで20万円は越すレベルのものが売っている。

いやいや。

ゲームに初期投資20万は無理ですよ?

じゃあやめるか・・・。

 

そこで無事PCゲームなどという時間の無駄をしないですむ人生を歩める。いいことですね。

 

しかし、無駄な時間を過ごしてほしい私は、ここでエンジョイ勢向けのゲーミングPCを考えたい。どうしたらPCゲームを普及させることが出来るか。

 

経済学の教科書をひも解くまでもなく、普及させるためには価格を下げることが大事である。ならば20万を超えるようなPCは論外である。まずこれは大前提である。

では、次に自作かBTOかという永遠の課題を見てみよう。

しかし、これは特に問題となる項目ではない。

自作をすれば、PCの知識がたくさんつくし、しなければ自作についての知識はつかないだけである。自作ができないという人はいない。ただ知らないだけである。PCを使ってゲームをする以上、PCの知識ゼロでなんとかなるというわけにはさすがにいかない。もちろん、彼氏(彼女)に全部おぜん立てしてもらうということは考えられるが、それでいいのだろうか。というか、それでいいのなら、このエントリは読む必要は全くない。全部、彼氏(彼女)がやってくれる。だからこれは無意味な想定である。

だから、PCの知識がない場合、PCゲームをしたいと思ったら、まずはPCの知識をつける必要がある。(ネカフェなどの場合はこの限りではないが、無論このエントリは自宅のPCを個人で利用することを想定している)

これは難しいことではない。

最近の自作本などでは、懇切丁寧に、そういう読者も想定しており、PCパーツには大抵その説明がついている。

だから、まずPCの知識をつけようと思って自作本を買うと、PCの知識+自作の知識が自動でつくようになっているのだ。なんという便利さ。

つまり、事実上、この点は「本一冊買えば身に着く」という非常に簡単なステップで終わる。これすらできない人は、多分PCゲームの(親切でない)説明は理解できないので、そもそもPCゲームに向いていない。

 

自作とは、何をすることなのかというと、マザーボードという基盤に、ピンにはめ込むか、そこから伸びているケーブルをパーツに差し込むかして、それをPCケースに設置する。基本はこれだけである。あと、ケース内に風をつくるためのファンや、電源ユニットを入れる必要があるぐらいである。

PCパーツはそれほど多くなく、

マザーボード、CPU、CPUクーラー、メモリ、グラフィックボード、ストレージ、電源、ケース

以上8つである。

マザーボード:大体1万円も出せば十分なものが買える。ATXMicro-ATXMini-ITX)があり、大きさが違う。ケースの大きさと合わせよう。

・CPU:ピンキリだが、1.3万円~

・CPUクーラー:付属で十分だが、買うなら虎徹といったものがある。小さいケースだと大きいのは収まらない。

・メモリ:これにはいろいろな種類があるので、マザーボードにあったものを選ぶ必要がある。大体8GB1.2万~

・グラフィックボード:ゲームにおいては最も性能を左右するパーツ。大体3万円前後がメジャー。

・ストレージ:いわゆるハードディスク。「SSD」という種類のものが(ゲーミングでは)主流。大体1万円がボリュームゾーン

・電源:BRONZE、SILVER、GOLDの3段階の格付けがなされている。何が変わるかと言うと定格出力であり、高性能なグラフィックボードを積むと、出力を食うので、高い電源を買う必要があるということ。BRONZEなら7000円~

・ケース:大きい(ATX)種類のミドルタワーと、小さい(Micro-ATX)種類のミニタワーというのがある。ちなみに一番でかいのはフルタワーと言い、階層表現が全部バラバラなので最初は混乱する。マザーボードと大きさを合わせる必要がある。安い(小さい)ものだと3000円台からあり、1万円ぐらいで落ち着く。小さいのを買うか、大きいのを買うかというのは完全な好みなので何とも言えない。当然大きい方が取り回しは楽だが、場所を取る。

 

マザーボード1、CPU1.3、メモリ1.2、グラボ3、SSD1、電源0.7、ケース0.5

全部足すと8.7万円である。

ゆるく設定してこれぐらいである。もっと切り詰めることはできるが、切り詰めれば切り詰めるほどタイトな条件になっていくことは当然である。つまり大体これぐらいを上限と(エンジョイ勢PC的には)みておくことができるのではないか、というのが8.7ということになる。またせっかくなら楽しくゲームをやりたいので、切り詰めてギリギリの環境でやるよりは、そういう感じのない環境の方がいいのではないか、という趣味志向も加味している。(PCケースは割とギリギリの価格…)

20万という数字から8.7万にまで減らすことができた。

見てわかるようにグラボが大きな数字を占めているのが分かると思うが、正直なところこれはオーバースペックだと思う(しかもi3)。だから切り詰められるが、そこは各々の判断であり、標準的には妥当だと思われるのでこの数字となった。

 

まずはお値段の方をざっと調べてみた。

もちろん、実際に選ぶときはもっと細かい想定が必要になるが、標準的な性能、メーカーで選ぶことを想定した。

またパーツにはそれぞれメーカーがあり、これも選ぶ基準となる。

 

 

書きながら調べて行ったので、いくらになるのか分からなかったが、個人的には「やや高い」という感覚になった。やはりグラボが高い。

しかし20からは50%以上減らせたのでよしとしよう。

もちろん、切り詰められるが、この価格には「高品質なゲーム体験を経験してほしい」という思いがある。確かに安くは出来るが、それではゲームの持ってる品質のポテンシャルを存分に体験できない、という状況が生まれてしまうのである(ブラウザゲームなどは違うが)。特にPCゲームは幅があり、逆に言えば落とそうと思えばかなり落とせる。しかし、それではやはり…という感じがする。逆にここからたとえば数千円減らせたとして「なんか…ショボくね?」という体験になるぐらいなら、その数千円分はどれほどの意味があったのか、ということである。せっかく数万払うことになるのは同じなのだから、だったら妥当な性能にしておくのがよいのではないか。

ここまでくると「買い物の仕方」の話になるので難しいが、このエントリの目的は標準的な初心者向けゲーミングPCの価格を見てみることなので、8.7という数字は、「ああ、まあ…そんなもんだろうね」という実に想定通りの価格に落ち着いたという、なんというかなんの驚きもない結果に相なったわけである。

しかし、一応8万円台に収まったのは嬉しい。

アニメ批評の憂鬱

~何事も継続していくのが大変/大事だよねって話~

 

ユリイカ涼宮ハルヒが特集されたことに驚いたと同時に、しかし本心では驚かなかった自分がいた。

魔法少女まどか☆マギカの批評のあり方は、もう驚きのあるあり方ではなくなっていた。正直書いてあることを読んでも、意味がわからないし、引っ張ってきた思想的なアレコレ(ジャーゴン)を無理やり作品に当てはめているようにしか思えなかった。

私が最後に批評らしきものを書いたのは『Charlotte』が最後である。

それはやはり、作品に驚きがあったからにほかならない。

批評とは、ある種その驚きをなんとか自分の中で納得出来る形に変換するという営為だと思う。

 

かつて見ていた批評サイトは軒並み更新を停止し、新たな批評サイトは誕生しない。

Charlotte』の時も、批評など書いてるのはほんのごく僅かな人間だけだったように思う。あんまり検索しなかったから分からないが。

当然、批評サイトも、同じ作品ばかりにかまけてるわけにはいかない。しかし、新しい驚きの作品が生まれないと、批評サイトは活動を停止してしまうのである。そして、その更新期間の空きが起こると、次の復活はもう、ない。

このはてなブログは一時期は99%ぐらいを「けものフレンズ」の一つのエントリーで保っていたのです。しかし、ワタシ的にはあのエントリで言うべきことは言い尽くしたので、特に言うこともなく、当然けもフレで更新はもうできません。しかも、スタッフ周りがあんなことになったので、一気に冷え込んで新たな材料も降ってくる気配もありません。そういう時、批評系はどういう方面に行くかというと、伝統的なのが「古典」に行くパターンですね。まあこれはプロの話であって、ネットの素人界隈では、まあそういう方面にいくことは難しいんですよね。結果、更新停止という・・・。

 

世間的には、今のアニメはどうなのか。

まどか☆マギカのブームの後に、ラノベアニメブームが来たように思うんですよね。で、その内実はまあ色々あったと思うんですが、最終的には魔法学園的なアニメが不評を買って、一方でSAOという中高生に大人気の作品が継続中という中でそして今は異世界転生がラノベでブームな中、アニメもその果実を取り込もうとして取り込めたのか取り込めなかったのかという中でゆるキャン△という困った時のけいおん頼り(ごちうさ等の例)という状況だというのが私の見方ですが、同時にガチャゲームという文化が発生したことによる変化もあったり明確な女性向けの深夜アニメが勃興したり没落したりという水平的な変化が今は大きいように思えます。

仕事を時間どおりに終えられないマネージャーは優秀なマネージャーとは言えない

仕事を時間通りに終えられないにもかかわらず、そういう人間を「優秀だ」といったり「熱心」だといったりする風潮がある。
しかし、これは間違っている。

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後期クイーン問題 名探偵は神だろうか?

後期クイーン問題というのがある。

知っている人にはお馴染みなので本エントリでは細かい説明は省かせてもらうが、いわゆる「本格ミステリ」の話題が上る時に、ほぼ決まって取り上げられる題目である。

一言で言えば「探偵はどのようにして真実にたどり着けるか」ということである。
また「探偵も間違えるんじゃないか?」というツッコミに、本格畑の人々は驚き、動揺し、騒然となったのである。

そして、それ以降、様々な手法を用いて、この「後期クイーン問題」を回避、ないし解決しようと、本格ミステリは邁進してきた。
その一つに「神の導入」がある。
いわば、神からの宣告として、証拠の真実性を保証する、ないし、要は名探偵の推理は神に保証されているという解決である。

しかし、これでいいのだろうか。

確かに、それまでの本格ミステリは、「探偵の推理=真実」というものであるので、それを「疑わない」ということが「ルール」になっていた。
探偵様の言うことに反論など許されないというわけである。
しかし、少し冷静になってみよう。
人間は神か?
違う。
人間は所詮人間である。間違いやミスも犯す。
それこそが人間なのである。
それを、無理やり神だなんだと持ち上げる。それは「間違えてはいけない」という強迫神経症にも似た状態に、本格ミステリの読者ないし作者、その界隈がその症状に陥っていた。

やや情緒的な説明をしてきたわけだが、もう一つの考え方は、これに科学哲学の手法を導入することである。
何が言いたいかと言えば、カール・ポパーの「反証可能性」の概念のことである。
つまり、探偵の推理は、あくまで科学的な「仮説」でしかないということである。
しかし、探偵の推理が、反証可能な仮説にすぎないというのは、逆に言えば、これは探偵の科学性を示していることになる。
神や占い師の「ご託宣」にならずに、探偵の述べる推理は、あくまで人間のレベルにあるということである。

なぜこのような「問題の問題」に本格ミステリ界隈が陥ったか。
それは本格ミステリ「パズル」だと考えすぎたのが原因ではないだろうか。
ある種の「社会派」のトラウマというのだろうか、社会から切り離そうとするあまり、論理の呪縛に陥ってしまった。
仮にパズルだとして、「1+X=2」としたなら、答えは「X=1」である。
それに対し、「いや不完全性定理だから数学の証明は出来ない」というのは、これは一つ段階の違う話である。
あとは哲学的な話になるだけである。
しかし、現実はあくまで現実である。もちろん、哲学の話にもできるが、それでは現実は一つも進まない。
科学もその哲学的な問題にぶち当たるが、それは科学哲学という分野の中で、話が進んでいる。
本格ミステリは、突如として独我論の罠に捉えられ、抜け出せずにいる。が、そろそろ抜け出てもいい頃合いではなかろうか。

そして、探偵を人間に戻してあげてはどうだろうか。