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テレビは「見られなくなる」か?

見られないものは存在しない。

殆どの人がジャンプの全部のマンガを知ってるわけじゃないし、ましてやマガジンやサンデーを全部読んでいるわけではない。

有名になった奴だけを知っている…それが現実です。

 

テレビは「見られてなんぼ」のメディアです。

しかし、それが今後どうなるか。

NHKのテレビ放談を見たことがある人はいると思いますが、その危機感を受け取られたでしょうか。私には受け取ることができませんでした。

 

それでもまだましです。私が以前書いたエントリでは昔のそのテレビ放談がネットをほぼ馬鹿にしたような内容だったので怒りの投稿だったわけですが、今年の放談はまだましで、ネット配信の話題も普通に出ていたのが印象的でした。

 

それでも、竹山さんがいなくなったせいでテレビ業界自体への批判がほとんどなくなってしまったのは残念でした。まあいてもスルーされるというか「こいつ空気読めよ」みたいな表情を他の出演者全員がして寂しくなるだけですが。

 

最近では「ネットでも結局テレビ番組を見てる論」が盛んですね。なぜかそういうカキコミがされますが、本当でしょうか? そんなヒカキンをも超えるチャンネルがあるとは知りませんでした。

まあ冗談はさておき、そりゃ制作費が違いますからね。ある程度は伸びるのは事実でしょう。

 

しかし、テレビに出てくる学生たちにタレントが「テレビ見てる?」って聞いてもほとんどの人が「見てない」とか「YouTubeだけ」とか「最近見たドラマはネットフリックスの~」とか言ってて、どう思ってるんでしょうね。

少し前だと「えー! テレビ見てないの?」とかいうリアクションを取ってたけど今はもう「テレビ見てないでしょ?」ともう見てない前提で聞いて相手も「はい」とか答えてる。

そんな場面を見ることが増えましたね。

少し前は「テレビ見てない」というのは自慢みたいに(勝手に)言われてたけど、普通に、たばこ吸ってないぐらいの感覚で「いや見てないっす」みたいな感じで言われるようになりましたもんね。それを敏感な人は2019年中に感じたと思うけど。そういう状況の変化を放談からは感じて、若干彼らの元気のなさを感じましたね。

2018年末ごろまでは「ネット? テレビにかなうわけないっしょww」みたいな態度だったのに「ああ、ネット…ネットは凄いですよね…」みたいなテンションになったのを感じますね。相手をもう「スゴイ」と感じてるのを端々に覗かせているのをテレビ関係者から見られます。

 

多分なんですけど、結線されたら終わりなんじゃないかと思うんですよ。

つまり、一度ネット配信を見始めた人が、テレビに「帰って」くるのか、という点で。

たとえるな、一度スマホに乗り換えた人がガラケーに変えるかっていう。人は一度便利なものを知ると、もう戻らないんじゃないの?と。もしかしたらその「帰らなさ」にテレビは焦り始めた原因があるんじゃないかとふと推測したりします。

アニメ2020

よく「アニメ業界がー」とか聞くけど、別にファンは「アニメ自体」が好きなわけじゃないんだよな(アニメーターはともかく)。
アニメの、「その」作品が好きなわけで。たとえばコードギアスが好きな人はコードギアスが好きなわけで、そういう「作品」が面白いという。

もちろん、アニメ自体は巨大な産業で、内包するジャンルは莫大なものがある。なんでも売ってるCOSTCO(スーパーマーケット)みたいなもの。だから、アニメという表現手段が持ってるポテンシャルはたくさんあるから、簡単には消えないんですけど。

ただ、「アニメが好き」という人も、実は個々の作品が好きだったりするので、かつてはアニメファンだった人も、普通に離れることもある(「長門俺の嫁」と言ってた人の中には離れてった人も大勢いるはず。ファンサイト(更新停止)の跡地とか回るのが趣味の私にはよく分かる。あれは諸行無常を感じていいものですよ…)。客がいなけりゃ商売はできないので、アニメの作り手も需要に応えるべく必死の生き残りをするわけだけど、こういうのって難しくて、全体の環境次第で良くもなれば悪くもなるって結果があるのがまあ厳しいところですね。

 

まあ消費者に出来ることは何もないのでただ傍観してるだけですが。よく作り手の批判とかありますけど、作り手の人たちはその時その時の合理的な判断で動いてるだけですので、それを後付けで批判するのは酷なものですね。製作委員会方式の限界とか言われますけど、それが合理的だった時代もあったのもまた事実ですし。

まあアニメのクオリティが上がり過ぎたのはありますね。

何が言いたいかというとねこパラはゼロ年代初期の深夜アニメ感満載でいいぞ、ということですね。これはアニメサイトのコメでも言われてることですが、アニメおじさん共通の感想ですわ。

 

つまんなければ消費者は離れるだけですからね。俺も昔は色々ゲームを買ったものですが、今ゲームなんて一切やりませんし。やってもいいかなというゲームもあるんですけどね。

これは美少女ゲームも同じで、誰も「美少女ゲーム」が好きなわけじゃなくて、個々のタイトルが好きなだけですからね。

まあアニメ業界がなくなるなんてことはないでしょうね。ただこれから市場が小さくなるとしたら、アニメ好きな人が減るだけでしょう。モノがなくなるより早くヒトの方がいなくなるんですよ。

明らかに物理メディア(ディスク)の売上は下がってるので、そういう商売は下火になっていくでしょうね。かつてたくさんあった町のゲーム屋さんが消えてったように。

まあ今後もだらだらアニメは見て行くと思いますが。

テレビの未来=YouTube?

そろそろ八個目ぐらいに到達しようとしている「テレビ論」シリーズ。

今回は、さらに注目度を増しているYouTubeにも絡めて論じていきたい。

 

2019年はYouTube元年とでも言うべき年だった。令和元年なだけに、覚えやすいのではないか。

もちろん、ずっと前からYouTubeは人気だったが、それが「テレビ」に完全に認知され、「YouTuber」がテレビに出ることが「事件」ではなくなった年、それが2019年だった。どういうことかというと、今まではYouTuberがテレビに出る時は「〇〇さんは、YouTubeで投稿している、YouTuber~」みたいに僅かながらYouTuberという言葉の説明プラス、ナレーション(テロップ)でわざわざ読み上げるなどの視聴者への配慮があったが、2019年には単にYouTuberという説明、もしくは一切説明なしで出てくることが増えた(ヒカキン、フワちゃん)。

 

じゃあYouTubeの活躍についてここで持ち上げて「YouTubeスゴイ!」ということを言いたいかというと、それは少し違う。もちろんこれからYouTuberはどんどん増えていくし、テレビ以外の市場として成長し、YouTuberとしてだけで稼ぐ人は増え、視聴時間も増えていくだろう。

だが、それがテレビに与える打撃というのは、それほど大きいとは言えない。もちろんYouTube自体は大きな市場で、この「サイト」はTwitterFacebookInstagramといった巨大メディア群の一つになっている。

では何もかもYouTubeに飲み込まれ、テレビは捨てられ、国民みんながYouTubeだけにアクセスするようになるかといえばそれは違う。

今後テレビはインターネットに接続する。もうすでにネットフリックスなどでつながっている。それがさらに加速する。

そうなれば、テレビはインターネットと「常時接続」されるようになる。これはかつてPCが「常時接続では『なかった』」時代を想起して欲しい。今の20代前半以下には理解できないことかもしれないが、PCはネットに接続して「いない」のが当たり前だった時代があり、その後は「必要な時にいちいち接続し、サイトを見終わったら即切断する」時代があったのだ。

だが、今そんなことを気にする人はいない。PCをつければネットにつながっているのが「当たり前」である。つながっていなければルータがぶっ壊れたというのを疑う。

これがテレビで起こる。

 

そうなった時、「放送」は何もかもが変わる。

つまり、テレビは今はテレビしか映らない。敵がいない。

ネットフリックスが入ってきたが、放送とは少し違うし、まだまだ結線率は低い。

YouTubeは基本的にはスマホの中に引きこもっている。

 

しかし、テレビがネットにつながれば、状況は変わる。

放送局は、アプリと同じになる。今のAppStoreのように、誰でも作れば放送主になれる。

 

何が言いたいかというと、これは大きな「産業上の変化」だということだ。

テレビが映像産業の王だった時代が終わるのだ。

そうなった時、どういう<未来>にしていくのかということは、これは全国民が考えなければならないことである。

今の放送法のようにガチガチのつまらないものにしてしまう未来なのか。B-CASとかの規格のようなものを作るのか。もっと競争のある未来にするのか。

大きな変化が始まっている。

 

未来から見ると、ネット動画に「YouTubeだけ」しかなかった時代が、恐ろしく小さな時代だったと思われるだろう。

テレビが「地上波の数局」しか見れなかったことのショボさに驚かれるだろう。

 

未来のテレビは、もっと多様性に富んだものになるはずだ。

続・人手不足とは何か

「人口が減ってる、だから人手不足だ」

WHY?

 

<90万人の人口の地域>と、<100万人の人口の地域>があるとする。

それぞれの地域は仕事が順調に回っている。

仮に、100万人の人口の地域が、90万人になったとする。すると、人手不足が発生するだろうか?

上の人手不足論者によれば、当然人手不足は発生しなければならない。

そうであるなら、

<人手が不足していない90万人の地域>と、<人手が不足する90万人の地域>が存在することになる。不合理。故に仮定が間違っている。

 

そもそも、人口が減ったならば、需要も(供給も)減少するので人手が不足するわけがない。人口が1万人だろうが、1000万人だろうが、地域経済の需要と供給の割合は同じである(当たり前すぎてアホくさいが)。

具体例をあげれば

4人で100人の客の相手をするハンバーガーショップがあったとする。人口の合計は104人だ。供給と需要の比率は1:25。

人口が半減したとする。52人。

すると今度は2人で50人の客の相手をすることになる。このことで「人手不足」が生まれたか? 供給と需要の比率は同じく1:25。何も人手不足は生まれていない。