インターネットで考える

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価値のないテレビ

今テレビを見ていたら、

「女性のムダ毛の話題」や

「ブラジャーを初めて着けた時の気分」

などを話題にしていた。

もちろん、それをNHK的な「お悩み講座」的にするならよいのだが、単にバラエティとして、見世物として取り扱っているだけなのである。

 

これはまさに下世話であり、そういう三文コラムみたいなのが載ってる雑がみに等しいものである。

 

このようなものを見ることに一体何の意味があるのか。

私はかねてからテレビの質の低下を指摘し、ネットに取って代わられるという話をしていた。しかし、それはあくまで「産業構造」としての話であり、中身は別のことであった。

しかし、今やテレビはその中身としても低レベルになっているようだ。

 

テレビ(地上波)は必要だろうか?

私はついに「否」と完璧に答えることが出来るようだ。

イデオロギーの終焉 利益の<イデオロギー>

資本主義と共産主義の対立というのは、「どちらが社会正義か?」ということの<イデオロギー>の対立であった。

しかし、そのイデオロギーは消滅した。

なぜか?

それは「社会正義」の消滅によってなされたし、「社会正義」の消滅によってしかなされない。

 

もはや社会正義は「金儲けのための手段」でしかない。

それは飽くなき利潤追求の一途である。

そのようになっている時、なぜ利潤を目指すのか? ということは問われない。

利潤を目指さないこと、つまり会社が傾いたからといって公金を何度もおかわりするようなことは公正ではないが、弱者を搾取することで利潤を上げることは公正とみなされる社会。それが拝金主義である。

 

貧しい人を食わせるために立ち上げるのが会社なのではなく、「俺が儲けたいから」会社を起こす時代。

よい目的を達するために育て上げるのではなく、搾取したいがために事業を行う時代。

それが進む先はどうなるのだろうか。

 

イデオロギーの対立は終わった。

次は、社会公正を達成するべき時代に入っているといえるだろう。

実際、ヨーロッパではそうなっている。

しかし、この国においては、恐ろしくその傾向は下火だと言える。

その舵取りを誤れば、ありとあらゆるものが腐敗・堕落していくだろう。

ゲームで美少女ゲームがNO.1になるということ

言うまでもなくFate/GOのことである。

 

私はFateをゲームとしては全く評価していない。

しかし、これは社会現象として驚くべきことであった。

このようなことがあり得るのか。

無論、十分あり得ることだった。

 

そもそもソーシャルゲームは「一般人」に本当に訴求するものなのか。

実際、かつてほど「一般人」という通年は通用しなくなっているが、売上の高いゲームを普通の人がやっているとは思えない。

では誰がやっているのか。

 

Fate/GOとポケモンGO

この2つが日本の「ツートップ」になった。

まさに日本を象徴するアイコン。それがFateポケモンなのだ。

Fate/GOは言うまでもなく美少女ゲームである。

つまり、1996年の「雫」、そして1997年の「ToHeart」などに代表される萌えキャラとしての美少女ゲームが、とうとうここまで成長したということであった。

 

いわゆる「オシャレさん」たちが使うiPhoneのアプリでNO.1を取るということ。

これは「勝利」なのだろうか。

 

2016年は「君の名は。」が興行収入1位(日本映画史上歴代2位)を記録した記念すべき年であった。これは美少女ゲームのOPを手がけていた新海誠監督が成し遂げた快挙であったが、それと同年、Fate/GOがiPhoneアプリで1位を記録した。

このことはつながっているのだろうか。

おそらくは、そうなのだ。

私はかつて「萌え=ブラックホール」理論を唱えたことがある。

それは萌えにあらゆるコンテンツが引きずり込まれていく現象をいち早く認め提唱した理論であった。

私は警鐘を鳴らしたつもりだったが、結果的に、現実は私が言うとおりの出来事が進行していくだけであった。

まさか新海誠が興行収入1位になるなどということを、たとえ前年であっても、万馬券であってもそれに1万円すら賭けようなどとは思わないだろう。

それが現実に起こったのだ。

 

つい最近では、JRの電車内に神姫Projectの広告が踊っていた。

どう見てもこんなものは、かつては秋葉原に行くことで漸く見れたような絵柄である。

 

我々は「勝利」したのだろうか?

私にとっては、一番面白かったのはKanon東映でやったときであり、京アニ版「AIR」がやっていた時だった。

 

ちなみに、衰退論の方々は全くこの事態を予想はできなかった。

それはFateiPhoneで1位を取るという事態だ。

全く衰退などしていなかったのだ。

衰退論は、そもそも根本から誤っていた。衰退原因というものは、「美少女ゲーム」の問題などではなかったのである。問題はそこにはなかった。美少女ゲームは確実にそのDNAを拡散していたのである。

労働の観念は常識で変化する

けものフレンズも終わり、新作アニメはどれも低調ということで、思いつき労働話を今日も書きます。

 

労働の観念が「何によって」変化するかと言えば、そこに何らかの法則があるわけではなく、人々の「常識」によって支えられているにすぎないのです。

ホワイトカラーといえば、今は土日休が当たり前ですが、昔はそうではありませんでした。

つまり、何が正しく、何が間違っているかは、その時の「常識」しか根拠がないのです。

であるならば、私が考えている

・一日最大7~8時間

・残業禁止

・有給20~30日

という、およそ日本ではあり得ない、しかし、ドイツやフランス、北欧では<常識>の水準も、日本では<非常識>なのです。

それは、物理法則や変えがたい伝統などというものではなく、単に「一年前もそうだったから」というにすぎません。

かつては女性がカチューシャをつけることがオシャレでしたが、今はそんなものをつけていれば変人扱いでしょう。

「常識」ということばがわかりにくければ「流行」といっても良いわけです。

今は過労死するほど働くことがブームですが、別にドイツやほかの先進国ではそんなことはないわけです。

そういう常識に縛られてそれを疑うことなく多くの人は暮らしているわけです。

しかし、かつてはクールビズなど考えもつかなかった日本人は、それを驚愕を持って受け入れ、今はそれが逆に常識となっています。

 

ですから、労働の問題は、「国の経済力」とか「世界情勢(かつてこの世界情勢というものを理解できた人はいないのですが)」などというものとは関係がなく、単に「誤った常識が蔓延している」ということに過ぎません。

また、この誤った常識は、なぜ誤っているかと言えば、多くの問題を生み出しているから、止めるべきであるのです。

みんながやりたい仕事「だけ」をするということ

このブログのコンテンツの一つに労働というテーマがあり、まあテレビ批判や日本社会批判(これは包含される)と同じぐらい人気がないコンテンツで、そんなものよりけものフレンズの記事でも上げた方が100倍ぐらい人気があるみたいなんですが、それはともかく、現在、日本で農業従事者というのが何人かは皆さんご存知ですか?

農業労働力に関する統計:農林水産省

農林水産省によれば2016年で192万人ということです。分かりやすい数字で200万人として、日本の総人口1億2000万人のうちの1.6%という結果です。

つまり、日本の農産として生産するのに、全体の1.6%の人で成立するということです。つまり98.4%の人は自分では生産せずに農産物を得ているということです。

 

昔はやりたくなくても農産物の生産者にならないといけませんでしたが、今やこのパーセンテージで成立している。多分、全人口で言えば、ちゃんと給料が出るなら農業についてもいい、という人は結構いるでしょう。それで儲かる、となればやってもいいよ、という人は多いと思います。

 

つまり、要は「お金が出るならやる」という仕事は多いということです。だったら、それは適切な給料が出れば、それで成立するということです。

 

日本のブラック企業の問題などは、「やりたくないことをやることが仕事」という<洗脳>、洗脳という言葉が強烈なら「思い込み」とでも言いましょうか、そういう考えを吹き込まれていることが原因でしょう。

明らかに月数十時間も残業をしたり、終電ギリギリまで会社の机にヘバりついていなきゃいけない、などというのは異常なわけですね。

本来であれば、「ふざけんなよクソ会社。てめえのとこなんか辞めるわ」と言って、全員が辞めてしまえば、その会社は翌日から社長一人を除き一切の活動が不可能になり、新たに雇用しない限り崩壊するでしょう。

実際に、そういうことはストライキとして仕事の手を止めることで交渉をする、ということは普通海外の国では行われています。

しかし、日本ではそのような行動に出る人が少なく、かくて過労死などの国際的に特異な現象が発生しています。

 

つまり、私が言いたいのは、全員が「好きなこと」を、やればいいんです。

ただし、労働時間というのは、長い時間実行すればある種抜け駆けとして機能してしまうので、それは防止する必要があるわけです。

だから「残業月100時間未満」とかいうアホなことはせずに、ドイツのように残業は禁止にしてしまえばいいんです。