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インターネットで何ができる?

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印象 アニメにおける日常系と組織系

日常系とはコミュニケーションの快感を高めていくことが目的とされる。
だから、そのグループの中では異分子というものは存在しない。

一方で、近年のストーリー系作品の特徴にも、同じように同グループ内に異分子というのはいない(ように思う)。
敵はいる。が、敵は圧倒的に思想が異なる存在であり、子供向けで言う魔王軍とかダークパワー団みたいな連中ばかりである。あとは鉄砲玉みたいな、変顔するヤツとかである。
これらは相容れない存在であり、まあ作中では悪いことをする人々ということになっている。
が、普通は同じ組織でも一枚岩とはいかないのが普通であるのに、最近のは「みんな仲間だ」みたいな感じである。もちろん最終的にはどれもそうなるのだろうが、その前段が描かれていない。もちろん、子供向けの作品ならそれが普通であるが。

またキャラクターがまるで組織の中のコマのように感じられ、一人ひとりの物語が希薄なように感じる。あくまでキャラクターは「組織を動かす一部」であり、キャラクターの行動決定は大方組織の行動決定に沿うものであって、一個人の物語として描かれるトーンが少ない。

敵との対決も、「組織同士の対決」であって、個人の物語の上での欲求が物語を引っ張っているというよりは組織に従って行動しているような印象がある。

そうすると、組織の中に異分子が混じることは少なくなる。異分子が生まれると、個人同士での物語が生まれるが、異分子が存在しなければ組織単位の話のほうが動かしやすい。


分かり合える相手は相互フォロー
分かり合えない相手はブロック


物語においても敵対する組織は、悪者、金儲けだけが目的の悪徳商人といったものが敵である。
まあこれはどこでもそうかもしれない。

だから別に最近のという枕言葉はいらないかもしれない。


日常系とは異分子が存在しない空間である。
そこではコミュニケートすること自体が目的であり、その内容は問わない。
過去の問題やアイデンティティ、未来への不安といった近代的な物語を駆動する装置は除去される。
散歩の会話みたいなものであり、せいぜいが小咄といったものである。
この伝統は江戸の絵本のような、「遊郭でこんな客がいた」とか「こんなアホがいた」とかいうよもやま話や笑話の系統に属するのかもしれない。

この江戸系の伝統を適用すると、バトル物やSFロボ系は勧善懲悪もの、悪者退治ものに類せられるのかもしれない。