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『Charlotte』感想2 マルチエンドの理屈、シングルエンドの理屈

みなさん、だーまえの『Charlotte』、ご覧になってますか?

などという長い前置きは省いてtwitter並に結論だけ書くと

だーまえの原理はマルチエンド、
アニメの原理はシングルエンド

なんですね。
だから、だーまえのやろうとしていることを、無理矢理アニメのような基本的に一つしか終わりがないものでやると、これは齟齬、というか、狙いの行き違いが起こる。

だーまえの歴史とは、元々マルチエンドが前提のゲームを作っていて、Kanonなどでは、それぞれのエンディングが相互に影響を与えていない。AIRでは曖昧に伏せられていた。これは当然です。ずっとあゆと過ごしていたのに、最後になると突然舞や名雪との問題も同時に解決していた、などということはあり得ないわけです。
(だからこその「Kanon問題」なるものも提出されたわけですが・・・。何もだーまえKanon問題をどうにかするためにCLANNADを作ったわけではないでしょうが、結果的にCLANNADによってKanon問題は解消されることになりました(解決の象徴は光の玉))

それを明確に統一構造としてまとめあげようとしたのがCLANNADです。
そのために、幻想世界を構築し、岡崎のそれぞれのリ/プレイを物語構造に組み込み、周回プレイというゲームにおける作用を、一本の統一した物語へと回収することに成功しました。
(実際にはCLANNADにおいて各ルートにおけるエンドは明確に一本に統一するものではありません。CLANNADのループ構造の詳細には触れませんが。一般的に各エンドが完璧に回収されるのはひぐらしオール・ユー・ニード・イズ・キル、そしてリトルバスターズ!などの「ある瞬間(指定日時や、主人公死亡時等)を折り目として開始地点に戻される」という一般的なゲームの「GAME OVER」のスタイルを取るものです。この点を大変曖昧にしているのもCLANNADの独特なところです。即ち、CLANNADは各エンドをただ単に「BAD END」として捨て去り、結局のところ結果として世界に残るのは「GAME CLEAR」した世界だけ、という通常のマルチエンド一本道型(矛盾してるようですがほかにいい表現があれば)でもなく、Steins;Gateのような各ルートは読者の中で記憶に残る(が、しかし公式には残るのはトゥルーエンドだけ、)というマルチエンド発散型(これはトゥルーというものがあろうとなかろうと、よくあるマルチエンドのやり方です。Kanonも同じですね)でもなく、その両方を獲得するというアクロバットが試みられているのです。この構造の複雑さがCLANNADにはあり、後にアニメ化する際にはとてつもない難題となって残ります)

リトルバスターズ!ではその<幻想世界>が、より幻想性を落とし、恭介というキャラクターが明確な自覚を持って構築したことになっています。説明としてはより理屈に寄ったものになっていることが分かります。それでも、SF的な(Steins;Gateのように)説明は避けています。
(ちなみになんですがSteins;Gateのような<ループもの>とCLANNADは少し違います。Steins;Gateではエンディングがやはり唯一無二のものとして受け取られるのに対し、CLANNADではトゥルー以外のエンディングは全てトゥルーのために<吸収>されるという構造になっています。これはより包括的なループ構造であり、類似作はひぐらしオール・ユー・ニード・イズ・キルなどです(主体の記憶の違いはある))

そして今回は超能力であり、敵対勢力として「科学者」というものが出てきます。
<幻想世界>はより現実的な、科学的な説明に近いところにまで近づいているのですが、敵対側に「科学者」というそのものずばりなネーミングを与えていることに、何か考えるきっかけを見ないわけには行きません。

幻想性を剥ぎ落としてきた<幻想世界>(ある種<奇跡>)を、一方ではより強固な理論としてまとめあげたいという思いと、もう一方では理屈で解明することを拒否するような、そんなジレンマな思いを作品に感じます。

話がズレましたが、かようにだーまえがやろうとしているのはマルチエンドを一つにまとめることです。
マルチエンドとはゲームをプレイすること、リプレイすることにより生まれる現象ですので、それを逆手に取ることで、一本の話に統一することに面白さがあるわけです。
それを元々一本の話以外に作りようがないアニメでマルチエンドを統一しても「へー」で終わってしまうわけです。また、元々ゲームのマルチエンドを知らない人にはなんのこっちゃとなってしまうわけです(ゲームなら嫌でも周回プレイはするので、誰でも術中にハマるように出来ている)。
だからなんだと言われたらなんでもないんですが、そういう「惜しさ」みたいなものを感じましたね・・・多分、これ、ゲームならもっと面白いだろうな・・・と。
CLANNADにおける論争もそうでした。ゲーム派とアニメ派では受け取り方に大きな違いが生まれました。それはAIRKanonでは問題なく作っていた京アニがぶつかった壁でした。
しかし、リトルバスターズ!では、恭介という明確な意識を持った主体がいるので、これは説明に難があるわけではありません。そういう意味では作るのが楽です。京アニは作りませんでしたが。)


蛇足
私個人は、ループすることに科学的な説明がつこうがつくまいが、それは物語次第だと思います。
Steins;Gate』がループに科学的な説明をしている「から」面白いわけではないように、それは物語の要素です。火の玉が掌から現れるのに科学的な超能力(なんか矛盾してますが)だろうが、魔法だろうが同じことですね。それをどう物語で利用するかが大事なんですね。