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『Charlotte』13話 感想 乙坂/友利思う故に友利/乙坂あり

いやー、まさかの逆で来るとは思いませんでしたね。

このダイアリをご覧の皆様にはよくご存知のように(一体誰が見ているというのか?)私の見方によればだーまえはマルチエンドを統合するということをやってきた、という風に見ています。

そうした中で、当然ネックになるのが人間の記憶です。主人公、もしくはそれに近い、できるなら内面を覗ける人間がループの記憶を持っていること、それが世界がループしたということの担保になる、というお話がありますね。

世界がトゥルーという形で統合される、そのような世界を描いたのがCLANNADなわけですが、その際に保証として、朋也が<幻想世界>を渡り歩いたのだということを認識する必要がありました。それは本当に婉曲なやり方ですが、読者に仄めかされるようになっています(多分)。

Charlotteでは主人公自身が記憶を失ってしまいました。こうなってしまうと、ループをしたという事実は消えてしまうし、世界の統合の可能性も失われます。まあ12話の話になるんですが、主人公からループの能力を奪うということが象徴するように、この出来事は予言されていたと言っていいでしょう。あの時点で、乙坂は「ゲームの主人公」である資格を失い、生身の一回限りの生を送る<人間>となったのです。

しかし、本当にそうだろうか? だーまえは世界の統合をただ諦めたのだろうか? そうではない。
その保証は友利の持っているビデオカメラというものに象徴されていると思います。

友利は乙坂がやけっぱちになった時も透明の能力を使って乙坂を「視」続けていました。
友利が透明になる能力、そしてその手に持つビデオカメラという小道具は言うまでもなく我々読者、視聴者、つまり「プレイヤ」の象徴ですね。

プレイヤと主人公は別なのか同一なのか。だーまえ作品ではその境界が時に曖昧になります。CLANNADでは光の玉というシステムを理解しているのは作中の誰なのか(人間原理)。それを記憶しているのは誰なのか。それともプレイヤが覚えていればそれは<在る>ことになるのか。プレイヤと作中人物という関係が渾然一体となってしまうことがありました。

乙坂という主人公と友利というプレイヤの分裂はすでに1話のアバンで予告されています。

乙坂「ずっと小さい頃から疑問に思っていた。なぜ自分は自分でしかなく、他人ではないのだろうと。
   我思う故に我ありとは、昔の哲学者の言葉だそうだが、僕は我ではなく、他人を思ってみた。
   あの人も僕なのではないかと」

言うまでもないことですがあの人とは友利を指していますね。

Charlotteと類似性が高いのがリトルバスターズ!です。
リトルバスターズ!でも、主人公理樹はループ毎に記憶を失っていますが、恭介(と謙吾と真人)は記憶を持っています。そして理樹を成長させることが一つの目的になっています。

Charlotteでも、友利は乙坂を叱咤激励するという役割を担っています。
しかし、それは恭介のように<世界>に干渉するのではなく、ただ見守るという姿勢が強い。最初はリードしていたはずの彼女が、後半では乙坂の独擅場となっていきます。


友利というキャラクターはだーまえ史の中ではかなり特異な性格のキャラクターです。
そもそもだーまえのキャラは多彩で被りがないというのもありますが・・・その中でもまるでギャルゲーの法則を逆手に取るようなキャラクターです。しかもそれが、分かりやすいようにただ嫌悪系ヒロインというわけではなく、常に主人公に対し「距離を縮めない」キャラクターとしてあります。別に悪い子でもないのだが、かといって決して隙を見せない。萌えキャラのセオリーを破っていますが、かといって失敗しているわけではない。

このキャラクターに対し、多くの人が戸惑いを示し、AB!と比較して「キャラクターの魅力」について論じられるなど、友利というキャラクターをどう捉えたらいいのか分からないという状況が生まれました。あまりにも新しいものを目の前にすると人はその真価をはかれないということがありますが、まさにそれでしょう。その状況こそが恐らくだーまえの狙いであり、もしそうであればそれは大成功したと言っていいでしょう。

リトルバスターズ!という仲良しグループを作る話とは反対の、決して馴れ合わないキャラクター。
ストイックなまでのその突き放し方はだーまえ作品の中でも際立っています。


友利が12話で能力を乙坂に奪われます。透明の能力は乙坂に移り、これにより「プレイヤ」の権利は乙坂に移行します。つまり、奪われたループの能力の代わりに友利からプレイヤの能力を得ることで、乙坂は主人公の資格を取り戻し、孤独な、<過酷な>生へと踏み出します。プレイヤであることと主人公であることはだーまえ作品では必ずしも≠ではなく、プレイヤでもあり主人公でもあるという二重性を持っているからです。

友利が乙坂のことをどう思っているのか。これがずっと分からない。
ヒロイン、それもメインヒロインという位置にいながらこれは非常にストイックです。
乙坂の告白を受けても、友利がなぜそれを承諾したのか、それ以前はどうだったのか。それは不可知です。なぜなら友利が透明の能力を失うのは、告白に答えた後であり、その前は友利は透明な存在であり、「プレイヤ」という役割を担っていたからです。このギリギリの瞬間まで能力を保持していた友利は凄まじいと言っていいいでしょう。

そして物語は最後にすべての能力を消去して終わります。
同時に乙坂の記憶も失われていました。奪うという能力は他人に乗り移ることであり、思うこととは違います。やがて、他人に乗り移り続けた末に乙坂は<我>を失っていきます(作中では能力の使いすぎが原因とされます)。目覚めた乙坂が記憶を失っていることに愕然とする友利。友利の変化がやや急に見えますが、これはわざとですね。やろうと思えばだーまえにとってはヒロインのラブを描くことなど朝飯前どころか誰に向かって言ってんだという感じですね。皆さん御存知の通りリトバスで鈴というある種友利とも似たところもある(遥かに分かりやすいですが)キャラの見事な心理の変遷を描いただーまえですからね。この辺は乙坂出撃中に待つ友利の心理を好きに考えればいいんでないでしょうか。きっとこれまでの生徒会活動を思い出したりして・・・たのかは分かりませんが。(普通にKeyっぽいギャグ日常は作ろうと思えば作れたでしょうね。4コマもそんな感じっぽいですし。まあ今回はコンセプトが違ったということで・・・)
まあとにかく、相手へを思う気持ちというのを乙坂の告白により取り戻した友利です。しかし言った本人は覚えていない。ショックを受ける友利ですが、その姿は遥かに人間味を取り戻していました。ともかく、二人の関係はやっとここから始まるようになりました。

友利「これからは楽しいことだらけの人生にしていきましょう」

このオープンエンドのスタイルはAB!にも採用されている。アニメ原作ではだーまえお気に入りの終わり方なのかもしれない。これほどの前向きさのある終わり方も珍しい。
恐らく、乙坂の記憶が失われており、乙坂はまさに一からのスタートとなる。そのスタートを切るに相応しい言葉を贈りたいと考えての友利の気遣いが現れているのではないだろうか。
車いすに病院服という痛々しい姿の乙坂。再び手にしたビデオカメラを構える友利。
これまで友利は透明な存在で乙坂を<視る>だけだったが、こんどは自分の目で見て、乙坂の人生、そして自分の人生を歩み、記録していくという意思表示ですね。