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なぜ「邪馬壹国」と書かれたか

邪馬臺なのか邪馬壹なのか。これははっきりしない。

しかし、仮に邪馬壹と書かれたとしたら、どうか。

 

ここまでは(ネット上では)よく知られた話である。

では、『なぜ邪馬壹国と書かれたか、そして、それがなぜ邪馬臺国に変わったか。』ということになると、いまいちはっきりとした説が唱えられているようには思えない。(そういうテキストを見つけられない)

 

ここで私が思うことを書いてみたい。

 

元々、九州王朝の人々が、自分たちを「◯◯人」というような形で、何人と読んでいたかは分からない。

中国は恐らく勝手に「倭人」という名称を与えた。

恐らく、当時の倭人は、たとえば伊都国なら「俺は伊都国人だ」というように考えていたのではないか。「倭? なんだそりゃ」と。

しかし、倭人は、中国という、今で言うアメリカ、もしくは国連のような組織と渡り合うために自らを「倭」ということを認めなければならなかった。

それは恐らく、中国から来た人に「あんたらは倭だ」と言われ、「なるほどそうかい」と認め、「漢倭(委)奴国王」や「親魏倭王」をもらっていたのだろう。(今で言えばJapanを認めたようなものである。どう考えても日本語では「Nippon」だが、そんな名前は認められなかった)

 

卑弥呼は「倭王」ということを認めていた。ちなみにこれは現在の日本語では「わおう」と言っているが、「倭」は当時は「ゐ」である(そもそも対応はしないが、似ている音として)。

倭人の国は、当然、倭国である。(日本人の国が日本国のように)

であるなら、倭国は「ゐこく」と発音した。

(「こく」は中国語だから、恐らく「くに」と言ったが、ここでは分かりやすく「こく」と書く)

 

その「ゐこく」にある「一番の国」が「いこく(壹国)」なのである。

しかし、ややこしい。

ので、大きいイメージのある「やま(山)」をつけて「やまいこく」と呼称したのではないか。

そして、それを聞いた三国志時代の人が「邪馬壹国」と記したのではないか。

 

だが、時代が下ると、この「やまいこく」は何らかの理由により名称変更が行われる。さらに大きいイメージを与える「たい(大)」をつけた。

「やまたいいこく」である。それがなまって「やまたいこく」になったのではないか。

 

 

 

もしくは、やはり「ゐこく(倭国)」の大もとをイメージして「やまゐこく(山倭国)」とし、それを中国人が「邪馬壹国」と書き留めたのかもしれない。

それなら素直に「邪馬倭国」とでも書けばいいじゃないかと思うが、この辺が分からない。だから、やはり「一番の国」という意味で「(やま)いこく」だ、と言ったのではないか。(ちなみに、「やまいちこく」という書き方を見るが、そうは発音しなかっただろう。壹(壱)は「いち」とは読まないから(中国語ではyī)、「やまいこく」が日本語表記としては近いだろう)

もし「やまいち(こく)」と言っていたら、表記は「邪馬伊知」(適当)などになるだろうから、やはり「やまい」だろう。

 

その後、なぜ「邪馬壹国」が「邪馬臺国」になってしまうのかは、やはり強引だが「たい(大)」の字を付け足したのを、中国人が書き留めたのが臺になったのではないか、ということしか私には分からない。

 

といったところである。

 

 

しかし、「やまたいこく」というのがかなり変わった名前であることは確かである。

三国志も、「女王国」という言い方にすぐ変えてしまう。

 

また、『隋書』には『都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也』とある。

これには「国」の字がない。

都を邪靡堆としている。

この辺はどうなのであろうか。