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邪馬壹国と邪馬臺国 そのニ

「邪馬壹」と「邪馬臺」。

 

今までは、この「どちらが正しいか」で争ってきた。

しかし、これは「どちらも正しい」のであろう。

 

「邪馬壹」と書いたのは、西晋陳寿(233年 - 297年)である。書名は『三国志』。

一方で、「其大倭王居邪馬臺國」と書いたのは南朝の宋の范曄(398年 - 445年)である。書名は『後漢書』。

 

一般に三国時代と言えば、184年~280年である。

後漢時代は25~220年。

両者で被っている年代は三国時代の184~後漢時代の220年。

つまり、同じ時代を描いている。

 

では、なぜ同じ時代を描いているのに、国名が違うのか。

 

論理的に考える。

もし、『三国志』が伝える「南至邪馬壹國、女王之所都」と

後漢書』が伝える「其大倭王居邪馬臺國」 が<同じ地点>ならば、國名は改名されたということである。

 

しかし、またもう一つの可能性がある。

それは『三国志』の「女王之所都」と『後漢書』の「其大倭王」が別だとしたらどうか。

 

というのも、『後漢書』では卑弥呼(卑彌呼)がいるのは、「女王国」と書いてあるのである。ただ、『三国志』にも卑弥呼の国として「女王国」という言い方をしているので、これを踏襲したのかもしれない。


しかし、では「拘奴國」はどうか。

三国志』では女王国の段落で「其南有狗奴國」と書かれる。南である。

しかし『後漢書』では「自女王國東度海千餘里至拘奴國」と書かれる。東である。

 

確かに、字が違う。<狗>奴國と<拘>奴國。

別の国だろうか。

狗奴國(三国志)は「不屬女王」と書く。

拘奴國(後漢書)は「而不屬女王」と書く。ほぼおなじである。

ここで仮にこれを同国とすれば、どうか。(もちろん別国ということもある)

 

 

整理しよう。

三国志』では、明らかに文中で「邪馬壹國=女王國」というのは読み取れる。

しかし『後漢書』では、それは明らかではない。倭王が居するところとして「邪馬臺國」と書かれる。が、そのかなり後方で、卑彌呼の話題が出てくる。そして、そこに「邪馬臺國」の字はなく、「女王國」と書かれる。

また、「狗奴國/拘奴國」の位置が、『三国志』の邪馬壹國(女王國)から南であるとするところであるのと、『後漢書』の女王國の東であるとするところであるのとで、違いがでてしまっている。

 

論理的に考えよう。

狗奴國と拘奴國」。この国が、「別の国」だとすれば、位置が違うのは当たり前である。

しかし、もし同一であるとすれば、「女王國」の南であるとする『三国志』と東であるとする『後漢書』では違いが出る。

 

 

仮に、「狗奴國と拘奴國」が同一であるとした場合、つまり<同じ地点>であるとした場合、比定される「女王国」の位置は違いが出る。

当然、『三国志』が描いた邪馬壹國(女王國)と『後漢書』が描いた女王國は<別の地点>という結論がでなければならない。これは論理的なものである。南と東で位置が違うのだから、一方を固定すれば、他方が動くのは、これは当たり前である。

 

つまり、

狗奴國(三国志)と拘奴國(後漢書」が<別の地点> もしくは

「女王國(三国志)と女王國後漢書」が<別の地点>

の二者択一であるということである。

 

もちろん、論理的には両方違うというのもあり得るが、これだとかなりグダグダする。

少なくとも言えることは、

 

三国志』に描かれた「女王國と狗奴國の地点」と

後漢書』に描かれた「女王國と拘奴國の地点」は

違う ということである。


以上、また整理して考えたい。