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インターネットで何ができる?

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けものフレンズをどう見るか

という、見方の混乱が起きているが、これはかつて「らき☆すた」などでも起きた混乱だった。

結果、批評界隈()では「日常系」なる意味不明の用語を作ることで、これらの文化相の総括を図り、枠組みに押し込めることに成功した。

 

けものフレンズをどう見るか、というのは、色々な捉え方がある。つまり、人によってこの作品を捉えるに辺り、必ず文脈を参照されるが、その<歴史>がどうなるかで捉え方が変わる。

私の軸としてはやはり起点は「gdgd妖精s」からの歴史の一つとして映る。

gdgd妖精s」は画期的な作品だった。

プレスコで作られる映像、声優のアドリブ大喜利、そしてちょっとサブカル系のCGギャグと融合した感覚。

そうしたニコ動内での徒花として「gdgd妖精s」はあり、さすがに劇場版までは追いかけられなかったが、それなりに一人の視聴者として楽しんでいた。

続くのが、「gdgd妖精s」に関わっていた石ダテコー太郎が関わっており、「けものフレンズ」のアニメーション制作会社であるヤオヨロズ制作の「てさぐれ!部活もの」である。

私は「てさぐれ!部活もの」のよい視聴者ではなかった。

余りにも前衛的すぎ、どう見たらいいのかも分からなかったし、「gdgd妖精s」のようなCGギャグもなく、単なる大喜利で終わっていたからである。「gdgd妖精s」の特徴として、事前に作ったCG映像を見て、声優が大喜利するというコーナーがあるのだが、そのCG映像の面白さが「gdgd妖精s」の面白さを引き立てていた。

てさぐれ!部活もの」は、「gdgd妖精s」がそうだったように、ほとんど主流の界隈からは無視されていたように思う。「gdgd妖精s」の頃はFate/Zeroペルソナ4で皆盛り上がっていたように思う。ニコ動ではそれなりにてさぐれは上位に来ていたし、一挙放送とかもやって話題にはなっていたが、その他のラノベのアニメ等で主流界隈は占められていた。(しかし、完全に無視されていたわけではなく、むしろ熱心なファンはかなり抱えていたように思う)

てさぐれのことに話を戻すと、てさぐれはプレスコで作られている。

かつ、アドリブのコーナーでは、声優がそれなりにアニメっぽい喋りをしてるが、台本はないので、やはり「普通のしゃべり」になってしまっており、それは到底「アニメの台本」として成立するものではない。だが、監督のたつき監督はそれをどうにかアニメーションっぽい動きになるように工夫しているのである。

だが、それが普通に単なる手書きのアニメーションならデフォルメっぽくすれば良いかもしれないが、てさぐれは3DCGなのである。この時点で、今までの手書きアニメーションをそのままトレースすることは出来ない。

だから、てさぐれは単純な「アニメ」の作り方では二重にないのである。

しかし、それは逆に言えば3DCGだからこそ成立した奇妙な空間だったのだろう、という雰囲気があるのである。それは、3DCGにすることで、明らかに「違和感」のある「アニメキャラクター」という存在感を逆手に取っていた。なぜか。それは3DCGのアニメキャラクターというのは、どうあがいても「奇妙」だからである。それは、アニメキャラクターがあまりにも「現実(リアル)」になるので、違和感しか残らないのである。だから、ピクサーやディズニー、ほかイルミネーションといったアメリカのアニメ会社は非常に上手くデフォルメしている。しかし、日本のアニメはまだそこまでは至っていない。

てさぐれはその未熟な部分を逆手に取って、その「脱落」している「アニメ性」を声優という「現実の役者」を補うことで画面の維持に努めた。

このような未熟性は、逆に言えば想像力で補うことができるのである。MMDで描かれる、ボーカロイドの音声を使ったCG動画を見ている人には、あの未熟な映像が初音ミクといったキャラクターのリアルを映していたように、てさぐれではそのようにして映像を完成させていった。

 

たつき監督はそのような要請の中でてさぐれの映像を作っていたが、3DCGを使いつつも「アニメ的」な演出を導入することで、あくまで「アニメ性」を維持していた。

そうして描かれた世界は、ある種の「日常系アニメ」の極北に至っていた。

もちろんてさぐり部という部活は現実にはないわけだが、そこで描かれているのは「日常系」の構成要件を満たす作品であり、かつ構成要件以上のものをほとんど持たないものだった。もちろん、作品というのは概念ではないので、実際には大喜利がその中の核としての生命を持っていた。何より、てさぐれというアニメが、アニメのメタネタを使い、アニメの「あるある」を語るものであることが、この批評性をより強め、日常系アニメに対する批評眼を視聴者に養わせる役割を持っていた。それはオープニングアニメの皮肉な歌詞を聞けばすぐに分かる。

 

たつき監督はあくまで3DCGをどのようにしたらアニメっぽくなるかということを追求していたように思える。しかし、それを普通の声優のトークでつけるのだから、この苦労は並大抵のことではなかっただろうと思う。

そうしたなかでいわば「特訓」されたヤオヨロズが、同じく3DCGで作ったのがけものフレンズであった。

けものフレンズの中で、ほとんど言及されないのが、本作が3DCGという点だ。

少し前では、「手書きアニメは3DCGに駆逐されるのか」や「これは3DCGだから駄目だ」といった評があったが、もはやその点は容易に越えている。けものフレンズは3Dだからどうの、という議論のされ方はしていない。それは、それだけこのけものフレンズのCGが「アニメ化」しているからだろう。それは一朝一夕でできるものではなく、てさぐれの経験を積んだことが発揮されているのではないか。

そして、この独特の肩の力の抜けた作り方も、てさぐれの雰囲気を受け継いでいるように思う。声優が台本なしで作る、いわば普通の人間のペースのボケとツッコミというそのテンポは、やはり台本のある「劇」とは異なるだろう。当然、暗記していること(や書かれていること)をしゃべるより、自らその場で考えて発言しなくちゃいけない場合では合間が発生する。その経験があの独特なテンポを生んだのかもしれない。

また、多くの人が無視する作中に入る実写パートだが、あのシュールな感じも、てさぐれという正統派なアニメとは全く異なる手法を使っているアニメのネタ感を思わせる。

 

オタキングが言っていた、一緒になって騒ぐのが楽しいから騒いでる(要約)ということはどうか。

それは「ガルパンはいいぞ」と書き込むことで一体感を得ていたガルパンや、ラブライバーなどと揶揄されるようになるほどラブライブのネタを撒き散らしていた彼ら(今はどこにいるのやら)等というふうに、特に珍しい指摘ではない。それはインターネットというツールを使えば容易にそのようなコミュニケーション空間を作ることはできるし、大抵はそういう使い方をされるのだから、ネットから人々の情報を得れば大抵そうなる。

 

以上書いてきたような「見方」というのは、全く「主流」の見方ではないだろう。てさぐれなど見たことも聞いたこともないという人がほとんどなのではないだろうか。

しかし、ネットの動きというのは常に揺れている。あのちょぼらうにょぽみ先生が、今や大抵のアニオタなら知らぬ人はいないように、そういうニッチが急にバズるというのがネットの特徴である。

けものフレンズは3DCGというハンデを負いながら、逆にその技術を逆手に取って独特の雰囲気を作り上げているように思える。

確かに主流のアニメとは違うかもしれないし、なぜこれほど熱狂的に迎え入れられたかは分からないが、これもある種のネット社会というものに生きる我々の作品受容の新しい現れ方なのだろう。(個人的には「ぽてまよ」などのオフビート系アニメを思い出したが。そういう意味ではむしろてさぐれなんかに比べれば遥かに<普通>のアニメになっている。)

けものフレンズの受容のされ方(言及のされ方)には何か過激なところがあり、まるで空前絶後のような扱い方をされているが、それには同意できない。ただ、丁寧に作られたアニメだと感じるし、私から見れば、あのてさぐれの会社が普通のアニメ作ってるなあ、ぐらいの感じである。

もう一つのポイントはけものフレンズにある、隠された設定という部分であり、これがいい感じでネット民を刺激しているようだが、これはまどマギがっこうぐらしの受容の仕方の焼き直しであり、こういう「ほのぼのが実は闇」みたいなのを欲するスタイルも私にはない。一貫性を維持するなら、そういう「ほのぼのが実は闇」を褒めるなら、けものフレンズを全く褒めないのはおかしいとは言える。

また「IQが下がる」というのもあるが、そういう受容のされ方も特に珍しいことではない。覚えていないが、そういう「IQが下がるアニメ」的なものはいくつかあるだろう。

 

けものフレンズに関して3DCGに言及する人が皆無ではなく、「CGWORLD」誌でも取り上げられているようにけものフレンズは3DCGも言及されている。あくまで「わーい!たーのしー! けど、これって3DCGなのよね……」という言い方をされておらず、その3DCGはアニメとして普通に受け入れられてるということである。

 

けものフレンズ吉崎観音の可愛らしいイラストと、SFの設定、また独特の間を持つ、つまりしっかりと考えて作られた3DCG映像による丁寧な仕事の作品だ。高カロリーな作画やアーティスティックな原画家の作画を持つアニメとは比較にならないが、いわゆる日常系アニメなどの系譜を維持する、ある種の深夜アニメの系譜から見れば特段クオリティが低いわけでもなく、むしろその3DCGは独自の表現を持っていると言えよう。えとたまなどに比べればCGのクオリティは低いように感じるが、あのような盛り盛りの3DCGで豪華に「ANIME感」を出せばよい作品になるかと言えばそうではなく、肩の力の抜けた作風がうまい具合に設定とマッチし、またネット民のバズりたがりな性分と組み合わさってこれほどの盛り上がりを見せたと言えるだろう。