インターネットで何ができる?

問題等ありましたらコメント欄にお願いします。(意見要望等は承認されません)

ジャンプはつまらなくなったのか?

「少年ジャンプ」はDBが終わった時点で終わっている。そして、スポ根を終わらせたスラムダンク
それ以降は「少年」はいない。どういうことか。
DBが始めたのは「マンガのゲーム化」なのであって、それはDr.スランプで行き着いたジャンプ型ギャグの袋小路だった。むしろDBはその始まりであった。では「少年」の最後は何か。北斗の拳ではないか、と思うが、どうだろうか。

おそらく一番初めに気づいたのはジョジョだろう。すでに「戦い」が肉体を離れ、「ゲーム化」していることに。作中でギャンブルやTVゲームを使った戦いが描かれ、筋肉もりもりの大男たちが必死になってテレビにかぶりつくという異様な光景がジョジョ三部で描かれた。まるでケンシロウがTVゲームに熱中するかのような、異様。

それまでは「少年たちの戦い」といえば、あしたのジョーの肉体や聖闘士星矢のような魔法的パワーが描き出すものだった。
それには必ず「腕っ節」が必要とされた(運命性というのは楽して手に入れた努力の結果である)。しかし、ジョジョは、「能力」もあるが「頭脳」が肝心であり、そうであるなら「少年」である必然性は薄くなる。少女でもいいのだ。

DBはどうしても少年を目指した。それはアラレによって先取られた「少年の終焉」を取り戻す戦いだった。
そこで鳥山は強さを「戦闘力」として数値化した。しかし、これはゲーム化の隘路を回避するどころか、余計に泥沼に深くはまり込むことになるのだった。

それまではあいまいにされていた「強さ」を「数値化」することで測定可能にしてしまった。訪れるのはインフレという「後出しじゃんけん」である。
それはインフレが「根拠がない」ことと同じように、実は強さにも根拠がないことを暴露してしまった。それは単に「設定」、ゲームの設定でしかない。

よく、「ジョジョはインフレしないからすごい」と言われる。
しかし、こう言ってはなんだが、当たり前なのである。彼らは「強い」のではなく「賢い」だけなのだから。賢さでインフレはいくらでも操作できる。どんなに「気」が強い者でも、人間なら、毒で一発で死ぬのだから、そういうようにして、相手を「インフレの強さ」で倒す必要は全くなくなるのである。それは厳密に決められた「ルール」の上で戦うのではなく、いわば「反則」に近い行為だ。ある種、ジョジョの戦いはルール無用のぶつかりあいであるが、それを受け入れられるようにデザインする「ゲームデザインのセンス」が光る。
そしてトリッシュの存在が示すように、賢さなら「少年」である意義、アイデンティティはもはや失効しているのである。
そこには「努力」によって得られるはずの「勝利」はなく、「賢さ」、もしくは「ひらめき」というものが大手を振って歩く光景しかなかった。
それは「肉体」が制する帝国ではなく、「おしゃべり」で「誘導」したり、「はったり」したりする、どこかずる賢い男たちの姿なのであった。


富樫はそれに気づいていた。だから意図的に幼い主人公のゴンを登場させ、普通ならRPGなどで「街の子供」ぐらいのキャラに死闘を演じさせる。そうでないと物語として「持たない」ことに富樫は気づいていた。

それはジャンプが描く物語がすでに「ゲーム」だということに気づいていたから。「小学生が中学生にゲーセンで格ゲーの対戦を挑む」程度の「緊張感」しか生み出せないことに気づいていたから。
もし主人公を青年に(たとえば幽助ぐらい)描いた場合、緊張感は失われるだろう。もちろん、仲間には青年や大人が混じっているが、彼らに緊張感を持たせるためにはヒソカといったあからさまに狂ったキャラやキメラ=アントという化物キャラを創っていく必要に迫られたが。途中にはGIという完全にゲーム世界にしてしまったが、旅団編のどこかサムい展開(私は好きだが)から挽回するには、ゲーム世界を構築せねば保たなかったと思われる。

だからハンターハンターは完全な「ファンタジー世界」である。
ジョジョは現実だが。その点で、NARUTOのファンタジー性に触れない人が多いのは不思議である。NARUTOは「和風ファンタジーRPG」であり、言ってしまえばガンガン風である。

岸本は「ハリーポッターみたいな」作品を、NARUTOの前にボツネタとして作っていた。これだけでも岸本のファンタジー性はよく分かる。
NARUTOはゲーム化した少年漫画をある種ベタなファンタジーバトル漫画に戻した点が大きい。(NARUTOとハリポタの共通点は非常に多い。これはいわば「定番」であるが、DBやワンピよりも共通点は多い。
1.親が強大な敵に葬られている(ハ:ヴォルデモート N:九尾)
2.その痕跡がある。それがパワーの源泉でもある(ハ:額の傷 N:封印)
3.それが理由で共同体から忌み嫌われている(ハ:学校でいじめられる N:学校で疎外されている)
4.その他のキャラデザインの方向性の親近性(ライバル(ハ:マルフォイ N:サスケ)、指導者(ハ:ダンブルドア N:火影/カカシ)、外部者(ハ:ハグリット N:イルカ)、ヒロイン(ハ:ハーマイオニー N:サクラ)、三人グループのデザイン(ハ:ハリー、ロン、ハーマイオニー N:サスケ、ナルト、サクラ)))

次にどういう漫画が流行るかはジャンプ編集部は多分分かっている。
次も、小学生低学年ぐらいの子供が、ドンパチやるファンタジー漫画だというのはすでに分かっている。だからヒロアカを猛プッシュしたが、結果はご存知のとおりである。

多分、次は王道西洋ファンタジーなんじゃないかと思ってるんだが、なかなか出てこない。もしかしたらSF系かもしれないが。
ネバーランドはもしかしたらその布石かもしれない。あれをSFというのは変だが、ああいう難解系みたいな要素も混ぜてくるかもしれない。

しかしゲームとは何か。
昔(はるか昔のことじゃ)差異化のゲームとかそういう言葉が流行ったことがあったのじゃ。
なぜ遊戯王に触れないのか? 遊戯王は現実でゲームになってるし、あの手はもうコロコロに行ってしまった。

ワンピースはどうなのか。ワンピースは義賊として描かれる。しかし、その物語の枠組みは遥かに曖昧模糊としている。世界観はほとんどはっきりせず、どこに何があるのかも分かりにくい。その曖昧さを埋め合わせるかのように画面は稠密である。
ワンピースには賞金額という指標が存在する。ではDBなのか。
ワンピースは西遊記である。経典を手に入れるために三蔵法師がお供のものと旅する西遊記と構造は同じである。”モンキー”・D・ルフィという”孫悟空”の存在がいる。ではやはりDBなのか。
だが、単純にDBではない。しかし、その掛け合わせであり、そのバランス感覚は絶妙である。ゲーム的なデザインも、オタク(ジョジョ・HxH)に陥らないギリギリの線を狙っている。
スタイルは暴れん坊将軍であり、町中をうろつき、悪いやつに面と向かって宣告、仲間を伴って倒しまくる。
これが少年の夢なのか。
それはシンプルに作られた人情活劇であり、時代劇である。ゲーム的時代劇である。

ジャンプがつまるかつまらないかは人それぞれだ。
当たり前だが、文化は時代の影響を受ける。
肉体の力が信じられていた時代は終わった。
時代劇には、もちろん、それは残っている。だから、そういう方向に行っている漫画雑誌ももちろんある。
ジャンプは何を目指すのか。そういうポイントが求められている。だが、それは愚直な創作の中でしか生まれない。


(なぜ私が「能力バトル」という用語を使わなかったのか。もちろん、それは時宜にかなっていれば使ってもよいのだが、能力バトルの中にはセーラームーンなども含まれる(無論ネットの話題の時は大抵無視されているが)はずであるが、それはともかく、ジャンプのバトルを追う時は、それは根源的に「マチズモ」であり、「男性アイデンティティ」の問題だからだ。だが、フェミニズム用語はあえて使わずに書く必要があった。)

 

(どうでもいいが、ヤングジャンプヤングマガジンは、あんなに乳首を露出するんだね。この前初めて知りました。
そして、その乳首の絵が、完全に「萌え絵」(萌えエロゲー)なのにも驚きましたね。なんかかんなぎれいさんの絵みたいな。いや単にエロマンガ雑誌やToLoveるを参考にしてるのかもしれませんが、エロマンガ雑誌がエロゲ由来の萌えですからね……。
完全にオタク向けの絵なんですよね。
大丈夫かなあ、なんていらぬ心配をしたり。それにしても、なんであんなに乳首出すのかなあ……。アレ完全にノルマですよね……。いい加減エロゲー文化を使うの止めて欲しいのですが、まあそれは定められたことなのでしょうか。それほどエロゲというのは影響力が「ありすぎた」のでしょう。)