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「君の名は。」の考察。 その原因論

(よく見たらタイトルすげえネタバレだったんで一応。あと検索で映らない用に少し下に本タイトルを)

いくつかの考察ページを巡っていたが、この根源的な問題を、問題として掲げてすらいなかった。

なぜだろうか? それは分からない。

とにかく、ここで整理してみよう。

 

本タイトル:「君の名は。」のタイムトラベルは何が「原因」で起きたか?


筆者は地上波版しか見ていないというものだが、それを見る限りでは、タイムトラベルのきっけかは分からない。
しかし、よく見ていると、組紐が重要な役割をしているようにみえる。
三葉が渡した組紐のおかげでタイムトラベルが起きるとは、明示されていないが、そうであると仮定すると、分かりやすい。(要はタイムマシーンの役割を果たす)

そうであるとすれば、どうなるか。

三葉が組紐を渡すきっかけは、瀧とのタイムトラベル型人格交換というものである。
しかし、そのタイムトラベル型人格交換が発生するためには、三葉からの組紐の受け渡しであるとすると、これは無限ループする。よって以下では組紐ではないと考えなければならない。(矛盾する)

仮に組紐が関係ないとしても同じである(先に言ったように、単に分かりやすいというだけである)。
瀧がタイムトラベルする「原因」が必要なのである。


三年前に気づかない、などということは驚きをもたらす重要な要素だからまあそれはいいとして、この無限ループは根源的な矛盾なので、遥かに重要な問題である。


では、この無限ループを解く鍵はどこにあるか。
それは瀧の「過去へのタイムトラベル能力」をどこで得るか、というものである。
これこそが根源的な問題である。
そして、その「過去へのタイムトラベル能力」を得るのは、自分とは無関係な人間でなければならない。なぜなら、自分を「原因」とすれば、では、その原因はどこかといえば、やはり自分に返ることになり、これは先程の無限ループということになる。

つまり、瀧のタイムトラベル能力を、瀧が過去に及ぼした影響によって得てはならないのである。わかりやすくすれば、タイムトラベルの作り方を未来の自分から教わることを起源にすると、無限ループが生まれてしまうのである。当然、一回目の、何かのきっかけがなければならない。

また、なぜ三年後なのか、というのも一つの問題である。
この点にツッコんでる人を見たことがないのだが、なぜ誰も疑問に思わないのか?
三年後、瀧が高校生になった時点ですでに糸守は跡形もないわけです。
その三年後、突然カルデラ御神体パワーが発現し、瀧に三年前へのタイムトラベル(+三葉の身体乗っ取り)能力が備わったのか?
一年後ではいけなかったのか? あるいは二年後では?

なぜ瀧だったのか、というのは、それほど難しい問題とは思えない。
もちろん公式設定ではないが、糸守の代々受け継がれている入れ替わり能力。実はそれは御神体パワーが元なのだが、その時の入れ替わりの子孫が宮水家であるが、その片割れこそが瀧なのである・・・という設定を用意するだけで、これは補完できる。
(言い伝えの中に”滝”がどうのこうのという設定もあるらしい? とすればより補強するものになるのではないだろうか。まあこれが瀧が名字だったら尤もらしいのだが、瀧の名字は立花なのである・・・)

もちろん、そうではないものもあるようで、いわば瀧にチューニングするように徐々に瀧になるという案もあったとか。しかし、これとて瀧に収束してるわけだから、やはり瀧の特別性は失われていない。

原因論」に戻ろう。
では、どのようにこの無限ループを解決したらよいか?
私の仮説であるが、それは「実は何度もタイムトラベルは起きている説」である。

 

よくある「エ○ァンゲリオン 究極解体新書」の類な感じになってきたが、公式設定にない部分に踏み込むとやはりそういう雰囲気が出てきてしまうのであるなあ。

ともかく、この説を見てみよう。
仮に、瀧がタイムトラベルをするのが、「一年後」であった場合はどうだろうか。
瀧は、実は2014年、即ち彗星落下の翌年、糸守にタイムスリップしていた。
しかし、この時は糸守の救出に失敗。これは誰にも描かれない世界線として存在する(ほぼ最初の糸守崩壊シナリオと同じ)。
翌年、2015年、瀧は再びチャレンジするも、このときも失敗。残念な話である。
そして、三年後の2016年。これが我々が見ている「君の名は。」のシナリオである。
瀧は見事、糸守住民の救出に成功。組紐のゲットは、たまたま三葉が起こした偶発的な行動であり、これがなければ恐らく最後の再会もなかったであろう・・・。

 

という説である。
いかがであろうか。
これなら無限ループは回避されるのである。
もちろんなぜ年に一回(の時期)なのかといえば、それが日付が同じ日でないと起きないからである。なぜ同じ日にならないと起きないかといえばそれは七夕だってそうだろ! ということである。つまり、具体的な意味はないが、年に一回、たとえば御神体パワーが貯まるのがその時だとか、まあどうとでも理由は付くのではないだろうか。いずれにしろ論理的に矛盾する無限ループよりはずっとマシなのである。

「それなら三年に一回でもいいじゃないか」という意見があるかもしれない。

・・・。

そうだね!

また、なぜ入れ替わりが途中で止まるのか、というのも気になる点である。
これも答えているページが見つからなかったが、一つは組紐を渡したから、というもの。これはロマンチックだが、そうであると、組紐こそがタイムトラベル能力を有する事になり、これは危険な無限ループへと突入するので、俺としてはこれ以上考えたくないからやめて欲しい。
もう一つはやはり断髪したから、ではないだろうか。友人たちも驚いていたし、それほど衝撃的な出来事だったことを映画が伝えているからである。



実はこのエントリ、「矛盾を発見した!」と思ったことに触発されている。それは三葉が瀧に組紐を渡した日があるのに、瀧がその日に戻ったら組紐渡しの事実がなくなるやんけ! というものである。しかし、それは彗星が落ちる”前日”だったので、あえなく俺の説は崩れた。

 

そして、考えれば考えるほど、「君の名は。」はよく出来た映画だったのである。
特に、彗星落下の日、瀧が三葉の身体に入り、色々した後(変な意味ではない)、カルデラで三葉(自分)とかたわれどきに出会う場面、当然、三葉が勝手に行動してたらどうするんだと思ったが、すぐに、そういえば瀧は足を滑らせて後ろに倒れていたな、と。
答えは当然、頭を打った瀧に入れ替わっていた三葉は、あのかたわれどきまで気絶していたということである(と思う)。まあやや長い気絶かもしれないが、これなどはまさに舌を巻くというべきで、実に抜け目ない。

 

また、そのカルデラのシーンで、入れ替わりが終わると、いきなり瀧が三葉の名前を”忘れる”シーンがある。
しかし、それは違う。
なぜなら、この入れ替わり終了後の瀧は、その直前の瀧とは全くの別人、別の世界線の人間なのである。だから、あの瞬間、観客の目の前にいる瀧は、三葉との入れ替わりなど一切していないし、中坊の時に組紐を三葉からもらってもいない。なぜならその世界線では糸守住民は全員無事だからであり、入れ替わりは必要ないからである。
このことも観客が理解していないと、なぜいきなり瀧が三葉の名前を”忘れた”のかを、「夢だからかあ、にしてもそんなに急に忘れるか?」と勘違いしてしまう。忘れたのではなく、瀧は三葉という名前を「聞いたことすら」もないのである。
「マジックペンがあるじゃないか!」と思うかもしれない。確かにある。だから、あのシーンはギリギリなのである。そもそもあの瀧(の身体)は、あの瞬間、2013年にいるわけである。そんなことはあり得ない。しかし、あった。それがあのシーンの真の意味なのである。だから、我々から見ると、2016年の世界に三葉が来ているように見えるが、そうではなく、瀧の方がタイムスリップして来ている。そして、かたわれどきだけに会って、それが終わった直後、2016年にふっ飛ばされる。しかも瀧自身は、なんと歴史改変後の自分なのである。非常に複雑だが、こうなっている。だからマジックペン如きどうでもいいのである。まあそれは冗談だが、だからあのマジックペンこそ瀧とともに2013年から2016年(歴史改変後)に”世界転移”した強者だと言えよう。(むしろ瀧に触れていたマジックペンこそが残ったのは理屈の通った話ではないだろうか)

ここまで考えた時に、では、我々が見ている「三葉」の世界線とはどのようなものなのか? という点が浮かび上がる。
これは明らかに、失敗した世界線で”なければならない”。

 

どういうことか。
すなわち、映画を見ていくと、一度、糸守救出は明らかに失敗する。それは夢ではなく、世界線の中の現実である。
そうでなければ、三葉が友人と夏祭り(?)を楽しむシーンがなくなる。あのシーンは、失敗した世界線である。明らかにあの後避難は失敗する。
しかし、その世界線は、我々が映画の中で長い間見てきた世界線であるはずである。三葉は入れ替わりを経験しているし、瀧に組紐を渡してもいる。
にも関わらず失敗している。
これは私の上記の「三度目の正直説」を裏付けるものではないだろうか。
つまり、あの世界線は、どのように形成されたのか、というものである。

 

しかし、この点で大きな矛盾がないだろうか?
つまり、映画では「三年後」の瀧であるにも関わらず、失敗しているではないか、と。
確かにその通りである。であるならば、あれは、三年後の瀧であるにも関わらず失敗した世界線が存在するということを証明しているのである。
あの夏祭りシーンが、”完全な虚構”でない限り、つまりどこかの世界線に存在した、ということが確かであるなら、明らかに「三年後の瀧であるにも関わらず失敗した世界線」が存在することを証拠付けている。

 

残念ながら、やはり「一年目、二年目説」の補強にはならないようだが、我々が見ていた彗星落下直前までの世界は「失敗世界線」だったということが分かった。
まあある意味ではそれは当然なのだが、つまり、作中時間が一時的に戻ってるのが口噛み酒のシーンであるから、あの後の世界が歴史改変後の世界線になるのである。そうであってみればあれほどのダイナミックな映像が流れた理由も分かる。

 

つまり、自分が糸守救出に失敗した世界で過ごしてきた瀧だが、口噛み酒を飲むことで過去に戻り、過去を変えることで歴史を変えたという、再びシンプルな構造の前に返ってきたわけである。

また、瀧が三葉の死んだ世界線で生き続けるという説を読みましたが、それはありえません。なぜなら、瀧が過去を変えてしまったからです。もちろん空想的には存在しますが(つまり実在しないということですが)、それは歴史には含まれません。
これは「リプレイ」世界である場合は、あり得ますが、「君の名は。」のタイムトラベルはあくまでも同一主体の問題なので、複数の主体が存在するわけではありません。
一度口噛み酒のシーンでリプレイしているように見えますが、あれは単にタイムスリップしてるだけなので、それ以前に戻って改変してしまった以上、あれ以降の世界はあの瞬間以降は実在を停められます。

 

これは逆に「ループもの」に慣れ親しんだ人からすると逆に難しく感じられるかもしれませんが、「君の名は。」はループものではないので、主体が複数に分裂することはありません。
私の「一年目、二年目説」もリプレイではなく、あくまでリニアな話です。