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後期クイーン問題 名探偵は神だろうか?

後期クイーン問題というのがある。

知っている人にはお馴染みなので本エントリでは細かい説明は省かせてもらうが、いわゆる「本格ミステリ」の話題が上る時に、ほぼ決まって取り上げられる題目である。

一言で言えば「探偵はどのようにして真実にたどり着けるか」ということである。
また「探偵も間違えるんじゃないか?」というツッコミに、本格畑の人々は驚き、動揺し、騒然となったのである。

そして、それ以降、様々な手法を用いて、この「後期クイーン問題」を回避、ないし解決しようと、本格ミステリは邁進してきた。
その一つに「神の導入」がある。
いわば、神からの宣告として、証拠の真実性を保証する、ないし、要は名探偵の推理は神に保証されているという解決である。

しかし、これでいいのだろうか。

確かに、それまでの本格ミステリは、「探偵の推理=真実」というものであるので、それを「疑わない」ということが「ルール」になっていた。
探偵様の言うことに反論など許されないというわけである。
しかし、少し冷静になってみよう。
人間は神か?
違う。
人間は所詮人間である。間違いやミスも犯す。
それこそが人間なのである。
それを、無理やり神だなんだと持ち上げる。それは「間違えてはいけない」という強迫神経症にも似た状態に、本格ミステリの読者ないし作者、その界隈がその症状に陥っていた。

やや情緒的な説明をしてきたわけだが、もう一つの考え方は、これに科学哲学の手法を導入することである。
何が言いたいかと言えば、カール・ポパーの「反証可能性」の概念のことである。
つまり、探偵の推理は、あくまで科学的な「仮説」でしかないということである。
しかし、探偵の推理が、反証可能な仮説にすぎないというのは、逆に言えば、これは探偵の科学性を示していることになる。
神や占い師の「ご託宣」にならずに、探偵の述べる推理は、あくまで人間のレベルにあるということである。

なぜこのような「問題の問題」に本格ミステリ界隈が陥ったか。
それは本格ミステリ「パズル」だと考えすぎたのが原因ではないだろうか。
ある種の「社会派」のトラウマというのだろうか、社会から切り離そうとするあまり、論理の呪縛に陥ってしまった。
仮にパズルだとして、「1+X=2」としたなら、答えは「X=1」である。
それに対し、「いや不完全性定理だから数学の証明は出来ない」というのは、これは一つ段階の違う話である。
あとは哲学的な話になるだけである。
しかし、現実はあくまで現実である。もちろん、哲学の話にもできるが、それでは現実は一つも進まない。
科学もその哲学的な問題にぶち当たるが、それは科学哲学という分野の中で、話が進んでいる。
本格ミステリは、突如として独我論の罠に捉えられ、抜け出せずにいる。が、そろそろ抜け出てもいい頃合いではなかろうか。

そして、探偵を人間に戻してあげてはどうだろうか。